泥棒・詐欺師犯罪例から考える防犯対策

実際にあった泥棒や詐欺のリアルな手口を犯罪者側の目線で物語風にご紹介。犯罪から身を守る手法を身につける参考にお役立てください。

懲役太郎の語る特別少年院、鑑別所、刑務所の生活

刑務官による体験リポートが載っていた。

あれを読むと、塀の中はさぞや地獄の底のようなところに思える。

確かに、一種の地獄だ。

オレ自身、もう金輪際お世話になりたくない。

しかし、オモシロイもんで、地獄には地獄なりの過ごし方ってのがあり、自分の振る舞いひとつで住み心地は天国のように感じられるときだってある。

逮捕歴10年実刑食らうこと3回。刑務所では、受刑者のことを懲役といい、3回以上入ったヤ ツは"懲役太郎"と呼ばれている。

考えてみれば、このオレもリッパな少年院から刑務所までムショというムショで死ぬ思いを何度も味わったし、悪知恵働かしてさんざんズルもしてきた。

このリポートを読んでもらえれば、ムショにも天国と地獄が存在するのがわかるはずだ。 


留置所

すでにある暴走族の隊長として毎夜近所の国道を走り回っていたオレは、ちょっとしたグループ同士のいざこざで傷害事件を起こしてしまう。

敵対していた族の幹部を木刀でメッタ打ちにしたのだ。相手は肋骨を折り入院10カ月。オレはすぐにしょっぴかれ、所轄の留置所にプチこまれた。

初めて入った留置所を見て、ガク然とした。トイレなどその最たる例で、便器には黄ぱみがこびりつき、最初の頃は悪臭でメシも食えない。おまけに踏ん張っている姿が丸見えだ。 これはかなわないと担当弁護士に文句を言うと、「確かに人権侵害」と、その何日か後には扉の前に、間仕切りのような板がお目見えした。 房(監獄)の中の不平不満はとりあえず弁護士に言ってみること。 これが、汚いトイレからオレが学んだ最初の教訓である。

さて、知っている人もいるかも しれないが、留置場では自由時間があり、タバコで一服できるようになっている。もちろん、オレはまだ未成年だからタバコなんぞ許されるわけがない。ところが・・

ある休憩時いかにもヤクザ風のオッサンが「少年、こっち来い」と手招きする。

そしてオレを自分の真後ろに立た せ、途中まで吸ったシケモクを手渡してくるではないか。 恐る恐る看守の目を気にしつつ、 一服

ニコチンが五臓六っぷに染み渡っていくようなこの感触。ああ、 こんなに一服がウマイとは。かくして、オレはタバコのありがたみを身をもって知った。

問題はメシである。監弁と呼ば れる弁当は、オカズがイワシのフライ沢庵2枚とか、ニシンの味干し1枚とか、成長期の少年にはまったく不十分な内容。

かといって、金もないから出前を頼むワケにもいかない。そこで、オレはなるべく取り調べや精神鑑定の時を延ばす作戦に出た。そうすれば、刑事や担当官がカツ井やソバをおごってくれるのだ。 

「昼、なに食べたい?」

「そーだな、上にぎり」

「バカヤローー」

こんなやりとりを何度繰り返し たことだろう。さすがににぎり寿司は食えなかったが、人のいい年輩の捜査官に、同情を誘うような供述をし、ちらし寿司をゲットしたこともある。 

鑑別所
留置場に1カ月置かれたオレは、 取り調べと平行して受けた精神鑑定で「情緒不安定、二重人格障害者」の熔印を押され、少年鑑別所へ送られることになった。鑑別所とは、犯罪を犯した少年を文字どおり鑑別するところだ。その時点で更正可能と判断されれぱ釈放、 不可能なら少年院行きとなる。

オレが入ったのは、ひときわ大きな練馬鑑別所だった。

新人りはまず一人部屋に5日聞ほど入れられ、次に2人部屋、その次は6人部屋と、 徐々に大きい部屋へと移る。 

ほとんど独房とも電える考査部屋に比べれぱ、6人部屋はまるで天国のようだ。

たまたま地元の不良仲間も入っていたから、退屈することもなかった。

部屋では、誰かが去っていく都度、古い順にボスになり、新入りは次が人ってくるまで便所掃除から片づけまで、雑用の一切をやるというしきたりがある。

だが、族の親衛隊長のオレがそんなマネをやってられるわけがない。 自然、ケンカの連続となり、結局はオレがボスの座を奪い取る。

そうなると、見張りを立たせて気に人らないヤツをリンチにかける。顔を殴ってバレる とヤバイから、狙うのはアバラやみぞおちだ。 部屋の中ばかりじゃない。女性教官の尻を触るわ、他の部屋のヤツとケンカをやらかすわでオレはしょっちゅう懲罰を食らい、一人部屋で1日中正座をさせられた。

そんな調子だから、鑑別所での評定も最低ランク。家庭裁判所で出た判決は案の定、少年院送りだった。

判決が出た後、担当官が1冊のバインダーを差し出した。開くと、 関東近郊にある少年院のパンフレ ツトが挟んである。

「選んでいいんすか、これ」

「希望は聞いとくから」

見るとそこには「先生との語らい」なんてキャプションが入った、 教室で談笑する坊主頭のヤツラが 映っていた。ま、あくまでパンフはパンフだ。どこへ行こうが似たり寄ったりに決まってる。

「早く決めろ」

喜連川少年院を選んだ。 

結局、オレが入れられたのは、 希望した喜連川少年院でもなく、 新人の焼きが激しい八街少年院や運動ばかりやらされる小田原体育少年院でもなく、関東ーキビシイとされる千葉県の久里浜特別少年院、通称特少だった。

実際、ここはキツかった

部屋はすべて独贋房で、最初の担当教官に「オヤジさん」といっただけでブン殴られ、奥歯が折れかかってしまったほどだ。

また、海沿いというだけあって、夏の必修に10キロの泳があり、冬は海風で死ぬほど寒い。部屋の蛇口は凍って水が出なくなった。

楽しみはほとんど皆無で、強いていえばタバコぐらいか。 オレは木工作業の材料を搬入する業者のニーチャンたちに気に入 られ、その都度、彼らからシケモクをゲットしていた。

刑務所に比べて少年院の持ち物検査はそんな に厳しくないかり、ケツに挟んで おけばまずバレない。トイレの中での一服はまた格別だ。

唯一のヒマつぶしも、読書くらいである。本など読んだことがないオレですら「徳川家康」を全巻しかも無我夢中で読み上げてしまったのだから、死ぬほど退屈だったことに変わりはない。 


いちばんのズリネタは先生のパンチラ 

久里浜に入って半年後のこと。

刑期約8カ月を残していたオレは、

「どうしても高校を卒業したいの で、喜連川少年院へ編入させてもらえないか」と担当の教官に直訴した。 栃木県の喜連川は関東の少年院では唯一、スクーリングといって 高校の授業を受けられる制度があ る。1年以上少年院に人って学校をダプるのはゴメンだし、親兄弟にさんざん迷夢てかけた分、高校くらいは出ておかなきゃという思いがあったのだ。 果たして、マジメ(のフリ)を通した努力は報われ、その年、オレは見事に喜連川へと編入する。

喜連川では、宇都宮高校という名門校から出張してきた先生の授業を受けた。

勉強には苦労した反面、選択科目で取った音楽の授業だけは待ち遠しくて仕方がなし

先生は若いミニスカ女、しかも低いイスに座って数えるから、い つもパンツが丸見え。エロ本など絶対に見られない状況で、これは貴重である。

オレは、授業のたび、 ピアノの音も聞こえないくらいに 先生のパンチラを目に焼き付け、 ズリネタにしていた。

久里浜の特少出身ということで、 オレは伸問内でも一目置かれる存在だった。中には、15才の中坊のクセしてドンプリ(体中)で入れ墨を入れていたヤツや、実の妹を刺し殺しちゃったヤツなど、トンでもないワルは周りにいっぱいい たが、持って生まれた気前えの良さとリーダーシップで、オレは周りの敵とどんどん味方に付けてい った。 

思い返せば、この喜連川での 日々は、人脈を作るヒでもずいぶ ん有意義だったように思う。今では名脇役としてならしている某俳優や、関東でも名の知れた組の若頭など、ここで知り合った人は今でも付き合いが続いている。

唯一、キッかったことといえば、少年院小唄にもあった、「要らぬひっつき喜連川」だ。ここでは、 毎回自分の目標を立てさせられ、 通称"ひっつきと呼ばれる生徒集会で、達成できなかった者がヤリ玉にヒげられる。

まったく何度、 皆の前で恥をかかされたことか。 こうして、1年2カ月の刑期を全うしたオレは、出所後、まっさきに自分のバイクを預かってくれた友人の家へ向かった。酒や女より、愛車に会いたくてしょうがなかったのである。 


我が人生、最初の懲役は、21才だ。罪名は、傷害と凶器準備罪。ちょっとした組同士の対立で、敵対していた一家の人間を刺してしまったのだ。

 

八王子拘置所で2カ月間拘留さ れた後、裁判で実刑2年を食らう

服役先は長野県須坂市にある長野刑務所である。

刑務所は普通、初犯用と再犯用に分かれており、長野は後者。25 才以下の初犯なら少年刑務所に行くところを(少年法により未成年の頃の犯歴は前科してカウントされない)、特少上がりのオレは、 「特別措遣」とやらで成人の再犯扱いされてしまった。

もうコイツは更正できないと思われたのだろう。

初めての刑務所は、少年院よりキピシイ世界だった。毎朝のカンカン踊り(作業場へ行ボディチェック。素っ裸にさせられる) に始まり、始終監視されての作業。

そして、またカンカン踊り・・

工場での作業もまたキツかった。 溶接の担当にさせられ、パイプのベッドやら、機動隊の車のパーツを作る毎日。もう体真っ黒でシミだらけだ。そんながんじがらめな状況だから、タバコなんて到底ムリ、と思いきやコレが結構吸えたりする。

オレの担当都署にいた刑務官は、工場で煙草を吸い、そのまま昼寝 してしまうようなヤツだった。これはもう吸ってくださいと言って るようなもの。

オレは、彼のシケモクを、工場やら刑務官の身の回りの整理をする計算工という係に頼んで、しょっちゆう引っ張ってこさせていた。

モクを受け取ったら、さっそく尻の中に隠し、監視の刑務官に 「用便お願いします」と、腹を押さえながら直訴する。

「どうした?」

「いやちょっと下しそうなんで」

「しょうがねえなあ。5分で戻れ よ」

こんな感じで便所に直行。が、思いっきりスパーッと一服してし まうようでは煙が漏れて一発でバレてしまう

そこで、服をほっかむりし、煙が昇らないように吸って煙は なるべく便器の中に吹く。このと き、水を少しずつ流しておくのがポイントで、実際にクソが出れば なおべター。モクのニオイが便臭でかき消されるからだ。 吸い殻はそのまま流さず、尻に挟んで持ち帰る。

工場のバーナー で燃やして証拠を隠滅すれば、もうカンペキ

当時、オレはシャバでコマしていた女に「刑務所で暮らすには月10万必要なんだ」とウソぶき、親族のフリをさせて面会で金を受け取っていた。

自分でわざわざタバ コをゲットしなくても、金や物品 (石鹸などが多かった)で周りの仲間を釣り、タバコを入手していたのだ。

タバコだけでなく、チリ紙も重宝されるアイテムだった。ーカ月に支給されるチリ紙は2-5枚と決まっているから、便だって一本グソになるように努力しないと、すぐ紙がなくなってしまう。むろん、金さえあれば話は別だ。

オレは、女から受け取った金で、心おきなく大便できる幸せを味わっていた。ちなみに、こうした喫煙が刑務官にバレると、ヒドイ仕打ちが待っている。所内の警備隊にとりあえず安全靴で10発ぐらい蹴っ飛ばされて、後ろ手に手錠をかけられて連行、そのままビックリ箱行きだ。

ビックリ箱とは、正式には待合い房と呼ばれる、取り調べの前に懲役を待たせておく小部屋のこ と。そこに麻袋を頭から被せられて入れられ、ボコボコにされるのだ。いつ開くのかわからないから、 その名前が付いたらしい。

実はオレも一度だけ、ケンカで懲罰を受けて入ったことがある。 長野刑務所を出所したときには、 右の奥歯はこのビックリ箱によっ て完全にもげかかっていた。