泥棒・詐欺師犯罪例から考える防犯対策

実際にあった泥棒や詐欺のリアルな手口を犯罪者側の目線で物語風にご紹介。犯罪から身を守る手法を身につける参考にお役立てください。

自己啓発セミナーに完全に洗脳されてしまった経験

「自己開発」「自己実現」をうたう自己啓発セミナー。
開発だ実現だと言われてもよくわからないが、要は、
現在の状況に不満や悩みを持つ人間が、本当の自分(そ
んなものがあるかどうかは別として)を見つけるこ
とでそれらを解決しようというのが目的だ。

人間誰しも悩みの1つや2つは持っていることも
あって、常にそこそこの参加者で盛況らしいが、費
用が高すぎたり、強引な勧誘を断れなかったりなど、
様々な問題が生じているセミナーもある。

何を隠そう、私自身も過去に1度、あるセミナー
に参加して完全に洗脳されてしまった経験を持って
いる。幸か不幸か、途中の段階で逃げ出したため、
現在では立派な拝金主義者として世を渡っているが、
あのまま続けていればどうなっていたことだろう。


できることなら忘れ去りたい経験ではある
しかし、逆の観点から学ぶべきところはあった.
そう、ひとたび自己啓発セミナーをビジネスとして
見ると、これが実にうまい仕組みになっているのだ。

8年前、損保の社員だった私は学生時代の友人に、
浄水器や副時間風呂を扱うネットワークビジネスの
存在を教えてもらい、これは儲かるのではという予
測の元、トリビューター(メンバー)になった。


アムウェイなどの例から、ネットワークビジネスに色々な問題があることは知っていたが、一握りとはいえ儲かっている人がいることも確か。ぜひ私もその少数派に属したかったのだ。
そんな夢を抱いて契約した直後、私は会社の先輩
にこう誘われた。
「成績優秀者の表彰式があるから、一緒に行ってみ
ないか」
トップの人間の年収は千万単位だというこの会社、
はたして優秀者とはどんな人たちなのか。秘訣の一
端でも聞けないものかと、私は.勇んで会場に向かった。
ところが着くと、看板には表彰式の文字などどこ
にもなく、「Aセミナー会場」とあるだけ。

実は先輩は以前よりこの自己啓発セミナーに参加しており、
新規会員を勧誘するべく、偽って私を連れてきたのだ。
自己啓発なんてとんでもない。金儲けにしか興味
はないのだ。そう言って私は辞退したが、彼はその後、
2カ月間にわたり執勤に説得し続けた心
「受講料の7万円ぐらい、必ず元は取れるから」
彼の言う「元は取れる」という言葉には、セミナ
ーの教えをビジネスに生かし金銭的に見返りを得る、
という意味以外に、長い人生を送るにおいて必ずや
それだけの価値はあるという暖昧な意味も含まれていた。

7万円.当時の私に軽く出せる額ではない。
しかし彼は、1万や2万では真剣になれない、デタ
ラメな気持ちで参加するのでは意味がないと主張する。
この7万円というのは、実に微妙な線だった。惜
しいけれど、どうしても払えない額ではない。

今にして思えば、この料金もそんな心理を見越し
た上で設定されていたに違いない回若者が無理をす
れば払える額、7万円というのはそんな数字なのだ。
結局、ネットワークビジネスで連れからも世話に
なるだろう先輩の説得に抗えなかった私は、受講料
を振り込むことにした。自分を変えたいだなんて微
塵も思っていない。ただ断りきれなかっただけのこ
とだ。
もちろんわだかまりは残った。なぜ人格を変える
ぐらいのことに7万円も必要なのか。いくらキレイ
事を並べていようとも、結局のところは単に商業主
義に毒されているだけなのでは。


懐疑の思いはセミナー当日の朝になってより強ま
った。うっかり私が振り込み明細書を忘れて受付に
行ったところ、いくら振り込みましたと言ってもい
っさい聞く耳を持たないのだ

他人のミスを許さないその態度は、金のない者は受け入れず、という思
想に基づいているように思えた
しかし、絶対振り込んだんだから疑うな、と主張
する私を、受け付けの女性は哀れむような悲しい目
で見つめ、こう言うのだ。
「あなた、自分の姿を見てください。どうしてそん
な言い方しかできないのでしょうか」
この物言いも、今になればよく理解できる.彼ら
主催者側は、何か矛盾が生じたときに必ず、その矛
盾によって不利益を被る側の態度に問題あり、と主
張するのだ。悪いのは自分たちではない.あなたの
ほうなのだ、と。幸い紹介者である先輩がその場にいたおかげで入
場はできたものの、不信感は募る一方だった。
そのセミナーは丸2日間、およそ50人ほどの受講
生が暗幕を張った室内に閉じ込もるというものだった。
しかし単に部屋に閉じ込もっているだけはでなく、
トレーナー(先生)の指示に従って「実習」と呼ば
れる数々のプログラムをこなしていかなければならず、
初日の午前中までは冷静だった私も、だんだん様子
がおかしくなっていくのがわかった。
「ゆりかごの実習」では腕を前に伸ばして手をつな
いだ2人が4組並び、その上に1人が寝転がりユラ
ュラと揺らされる。バックに流れるのは米米クラブ
の「愛してる」、岡村孝子の「夢をあきらめないで」
など。
中でも最もセミナーを象徴していたのが、さだま
さしの「道化師のソネット」のB面「ハッピーバー
スデー」だ。昨日までの自分はもういないといった
意味の歌詞は、日常生活で耳にしたならば吐き気を
催すような代物だが、みんなの腕の上で揺れていると、
そんなくだらなくも能動的な内容がなぜかすんなり
と心に染み入ってくるのだから、おかしなものだ。
みんなに向かい、自分の恥ずかしい過去を語る「シ
エアリング」では、最初・は誰もが中学生ぐらいに万
引きをしただのという他愛のないことを話すのが、
最後には必ず両親との確執を打ち明けた

虐待、レイプ、離婚などなど。
これは、隣に座るトレーナーが「今のあなたはも
っと過去のできごとが原因です」と小学時代、幼少期、
そして3才のころまで記憶を遡らせるためだ。もち
ろんその意図は徹底的に自我を破壊させることにある。
その後、プラスチックの剣、バット、そしておも
ちゃのナイフを渡され、大声で親を罵倒しながらフ
トンに向かって武器を振り回す。
周りを取り囲んだ4人のトレーナーが、親を憎ん
でいる者には「そんなことで恨みは晴れるのか!」
と樹を飛ばし、愛情に包まれて育った者には、「親
の過保護を許せるのか!」と煽る.要はどんな者で
あれ、親を責めさえすればよく、そしてその理由な
どいくらでも作れるのだ。
「飢餓の実習」なるものもあった。東京ラブストー
リーの挿入曲(小田和正のでなく、日向某のピアノ曲)
やアルファ波系のクラシック音楽が流れる中、ミサ
イルによる爆音や赤ちゃんの泣き声を聞き、恵まれ
ない子供のことを思う。目的は.愛に満ちた人間にな
るためだが、これが実によく効いてしまう。
というのも、この2日間、受講者はいっさい食糧
を与えられておらず、まさにこの実習を飢餓の状態
で迎えているからだ。思考力もへったくれもない。
悲しいことは悲しいことど素直に反応を起こし、愛
の大切さを願ってしまうのである。
が、そんな策も今だからこそ気づくのであってずすべての実習が終わったときは、私もまた完全に洗脳された人間の1人だった。信じ難いことに最後
のコミットと呼ばれる誓約の儀式で、私は自ら進ん
でこう叫んでいたのだ
「私はこのセミナーに3人の友人を連れてきます」

よく自己啓発セミナーの強引な勧誘(エンロール)
が問題視されることがある.何度も何度も電話する、
深夜に押し掛ける。なるほど、そういう連ともある
かもしれない.
しかし、勧誘していた私の本音は、なぜ産んなに
いいセミナーなのにあなたは来ないのか内という純
粋なものでしかなかった。
そこには、欲や名誉など何もない.なぜなら勧誘することのメリットなど

何もないからだ.

金銭的なバックはないし、ポジションが高くなるわけでも
ない。それでも勧誘したくなるのは、セミナーの素
晴らしさを信じきっていたからに他ならない。
私はいつのまにか受講料についてもあの先輩と同
じ論法を使っていた

必ず元は取れるから、と。おかしな話そのときは本当にそう信じていたのだ
主催者の側から見れば、実にうまい作戦である。
なにしろ放っておけば受講生が勝手に新しい受講生
を連れてやってくるのだ。しかも無償でネギを背負ったカモがまた別のカモを連れてくれば、猟師は弾を使わずに済む。
ただ宗教団体と逢い、現金そのものを献上したく
なるような教えはなかったし、物品を売りつけられ
ることもなかった。潜在能力を呼び覚ますという名
目で如万円ほどの装飾品が販売されていたが、それ
も無理矢理ではなかった、むろん、自ら進んで購入
する者はいたはずだが。