愛媛県に住むAさんは、同県警に窃盗の容疑で逮捕された。女性宅から印鑑と通帳を盗み、銀行から50万円を引きしたのだという。
当初、任意出頭で警察に呼び出されたAさんは全く身に覚えがなく「私には関係ない」と訴えていた
が、間もなく被疑事実を認めてしまう。
「私がやりました」
この一言だけが決め手となり警察は逮捕状を執行、Aさんは留置場にぶち込まれる。その後の公判で否認に転じたものの裁判所は身柄拘束を続けていた。
ところが翌年、高知県警に別件で逮捕された男性が宇和島での犯行(Aさんが裁判を受けている窃盗)を自白する。
これによりAさんが事件と無関係だったことが判明。検察官は異例の無罪論告を行い、Aさんは無罪判決を受けて釈放された
逮捕から、386日後のことである。
それにしても不思議なのは、Aさんの自白である。いったいなぜ、自分がやってもいない事件を「やった」と言ってしまったのか。
実は、多くの冤罪事件に共通するのは、この《不可解な自白》に他ならない。無実なら、罪を認める必要などないではないか。そう思うのが常識だ。
釈放直後のAさんに、この疑問をぶつけてみると次のような答が返ってきた
「同じことを、たくさんの人から聞かれましたが、自分でもよくわからないんです。こればかりは取り調べを受けた人でないと理解できないと思います。あの現場で否認を通すのは心底、疲れるんです」
捜査員は最初からAさんを犯人だと決めつけていた。被疑事実をどんなに否定しても聞く耳を持たない。おまえ以外に犯人がいるはずはない
認めないと親にも会社にも迷惑がかかるこ苦認の時間が長引くと罪か重くなる
こうした捜査員の言葉に、Aさんの心は激しく揺れた
「責められているうちに、だんだん頭の中か真っ白になってしまうんです。そしていつのまにか、自白しなければいけないと思うようになってました」
Aさんがおちたのは、取り調べ開始から、わずかに4時間後。ー年以上に及んだ勾留生活は、その日から始まったのである。
起訴前、Aさんは検察官から「キミがやったとは思えないが本当にそうか」と訊ねられ、「やりました」と答えている
「否認すれば、署に帰ってから刑事さんの取り調べが厳しくなると思ったんです」
このAさんウソの自白をしてしまう人間の心理が集約されている。厳しい取り調べから逃れたい一心で、本当のことか言えない。
加え、この先どうなるのかといった不安と逮捕されたという差恥それらか複雑に絡み合いやってもいない罪を認めてしまう。つまり、「私がやりました」と認めてしまう方が、否認するより遥かに楽なのである。
それでも真犯人が名乗り出ただけ、Aさんは幸運だ。そのままいけば裁判所は検察の論告求刑【懲役2年】に追従する有罪判決を言い渡していたに違いないのだから。冤罪事件の裁判でいつも問題となるのか、自白の信懸性である。
冤罪被害者は裁判において、自白がいかに「つくられた」ものかを主張する。が、日本の裁判所は、なかなかそれを認めようとはしない。
「自白は強制されたものではなく任意性がある」このような判断で裏付けも取らず証拠として採用してしまう。だからこそ警察での取り調べは、信用できぬ」
自白を引き出すため様々なテクニックが駆使される。単純な恫喝や泣き落としの類だけでなく、さまさまな提案をもちかけるのだ。
「本当のことは裁判でいえばいいじゃないか。ここじゃ、とりあえず(犯行を)認めた方が早く家に帰れるぞ」
「調書に間違いがあっても、裁判で訂正するもんだよ」
「調書にはキミのことが悪く書いてあるけど、我々(警察官)はキミのために上申書を提出しておくよ。俺たちに任せれば悪いようにはしないから」
これらは日常的に用いられているが、全部ウソである。この手にからめとられ一度でもウソの自白をしてしまえば取り返しのつかないことになると、肝に銘じておくべきだ。
「違う、そうじゃない」夢が自白をリード
最近も、その自白の信悪性をめぐって冤罪説が急浮上している事件がある。連続殺人事件として世間を震憾せしめた「仙台筋弛緩剤混入事件」だ。
北稜クリニック(宮城県仙台市)に入院する患者の点滴に筋弛緩剤を混入させたとして、殺人および殺人未遂の容疑で逮捕されたのは同クリニックの准看護士だった守被告(30)である。
守被告は逮捕された今年1月6日から3日間、容疑を大筋で認めたものの、その後は一転、否認し始めた。この事件では、筋弛緩剤混入の目撃証言など守被告と犯行を直接結びつける証拠はまったくない。多くの冤罪事件同様、当初の自白だけが、唯一の証拠なのである。守被告や弁護団は
「自白は捜査員に強要された虚偽のもの」として「自白内容は具体的で詳細」とする検察側と正面からぶつかっている。
「実は、(宮城)県警のなかでも、守被告の自白に疑間を抱いている人間は多いんです。守(被告)で大丈夫なんだろうかという雰囲気か広がり始めています」
問題の自白について守被告は、大学ノートに綴った日記のなかで次のように記している
A刑事「おまえしかいないんだ。やったことは仕方ない」
私「・・…」
A刑事「他に誰がいる言ってみろー」
私「知りません」などと言った後に、私は本当にここにいることか苦痛でしかたなかった。それで…楽になりたいという気持ちがほとんどで
私「大田さんにボスミンとサクシンを、間違えて注射しました」
A刑事「違うだろ、そうじゃないだろー一」(中略)何言ってんだー
私だってウソいってるんだ。そのほかどう言えばいいんだと思いながら
私「点滴の中に」というと、刑事はうなずき、私「サクシンを」刑事は頭を横に振り、私「マスキュラックスを混入」
刑事はそうだとうなずいた。「以上、原文ママ」
事件ではなく医療ミスじゃないのか前述したAさんの話と酷似していることか、よくわかる。
「楽になりたい」というのは、追いつめられた人問か陥る、典型的なパターンだ。また、検察側が主張する「具体的で詳細」な自白も、内実はこの程度。捜査員の巧みなリードで言葉の断片か拾われているに過ぎない。調書はこうした形で引き出された言葉をつなぎ合わせ、あたかも被疑者が自ら進んで話したかのように《作文》される。
最終的に警察がストーリーを作るのだから具体的であって当然なのだ。
「捜査員によって、守君はマインドコントロール下に置かれてしまったわけですよ」
そう話すのは、弁護団長の阿部泰雄弁護士である。
「警察の追い込み方は単純です。事件があった、犯人はオマエ以外にあり得ない、それだけですこそうした取り調べのなかで徐々に自白しなけれはいけないような気にさせられていくんです」
ただし、守被告は完全に洗脳されていたわけではなかった。気持ちは常に揺れていた。逮捕から3日目の日記には次のように記されている。
(本当に情けない頭の中がボーッとしている。(中略)私は本当にやってしまったのだろうか。言ったのだからとうしようもないのかな。反省する本日も頭の中がボーッとしている)
ここでもAさんと同様に、頭の中か空白状態であることを示す表現か見られるだか、守被告はこの日から否認に転じた。阿部弁護士が続ける
「守君の自白はつくられたもの。そもそも、これは事件なんかじゃなく、医療ミスと自然死が重なったものです」
各種報道でも明らかとなったように、北稜クリニックのズサンな医療体制は地元でも有名で、誤診や薬漬けなどによる医療被害は以前から噂となっていたという。
「守被告は(医療ミスの)スケープゴートにされた」
と話す地元記者もいるぐらいだ。また、初公判で検察側が明らかにした物証(筋弛緩剤の成分が含まれていたとされる被害者の血液のサンプル)も、現存するのは鑑定の資料のみ現物(血液)はすでになく、資料自体ねつ造の疑いがもたれている。さらに医療関係者の間からは「筋弛緩剤を点滴に混入させただけで人か死ぬものなのか」といった疑問の声も出た。
阿部弁護士は、過去に7件の寛罪事件を担当し、いずれも最終的には無罪を勝ち取った経験の持ち主だ。聞けばそのほとんどか、逮捕当初に自白を強要されたものだったというこれでおわかりだろう。菟罪から逃れる方法は1つしかない。ウソの自白をしないことである。さらに徹底するならば、いっさい、しゃべらず完全黙秘を通すことだ。万が一、調書を取られても、署名・捺印を拒否。そして速やかに弁護士を依頼するしかない。無論、警察は様々な脅しをかけてくるだろう。
「話さなければ帰さない」「黙秘は罪が重くなる」
しかし、こんな恫喝に負けてはいけない。一時的な妥協が、一生の後悔となる場合もある。戦後の菟罪事件のなかでは、再審無罪を勝ち取るまでに年といった年月を要したものが少なくない。疑いが濃厚でありながら、死刑や獄死してしまったケースもある。
また、近頃増えている易漢菟懇の事例でも、警察による自白強要が問題とされている。「否認すれば勾留される。そうなったら会社も家も大変だ。認めて5万円(痴漢=迷感防止条例違反の罰金)払った方がいい」というのが常套手段だ。中には面倒な裁判より、あえて罰金刑を選択する人も多いだろう。しかし徴罪とはいえ、不名誉な『前科』が付くことは避けられない。やはり覚悟を決めて闘うのが、最善の道だろう。